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プロフィール
プロフィール | |
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昭和41年8月9日 (1966年) |
誕生。和歌山市東長町に育つ。 |
岡山幼稚園、市立砂山小学校、市立西和中学校を卒業 | |
昭和60年 (1985年) |
近畿大学付属高等学校を卒業、単身南米ブラジルへ渡伯 |
平成2年 (1990年) |
帰国 |
平成9年 (1997年) |
内装会社を設立 |
平成15年 (2003年) |
和歌山市議会議員選挙で初当選 |
趣味 | 友ヶ島周辺で季節の船釣り、ガーデニング、読書 |
家族 | 愛妻・育子 |
ブラジルの思い出
私は、昭和60年近畿大学付属高等学校を卒業後、単身ブラジルに渡りました。この年の4月、甲子園球場の阪神―巨人戦で巨人槇原からランディ・バース・掛布・岡田のバックスリーン3連発が放たれ、阪神タイガースが21年ぶりのセ・リーグ優勝を勝ち取った年で、
日米貿易摩擦の深刻化、円高不況など不安定な年でありましたが、翌年以降のバブル景気の契機ともなった年でもありました。私が、ブラジルに渡るきっかけは、日本社会に対して何か漠然とした不安があり、このままでいいのかという自問自答もありました。そのような不安定な時期に読んだ開高健の本の大自然の中での自然相手の戦いの様を垣間見たとき、心打たれるものを感じ、何か心を開放された感がありました。それで居ても立ってもおれなくなり、日本を飛び出したのです。
渡航先にブラジルを選んだのは開高健の「オーパ」を読んで、ブラジルの雄大さ、発展途上であり、異民族国家の人種のるつぼ、その社会に日系社会が根付いている。そういう世界に飛び込んでみたい、という欲求に駆られたのです。
ブラジルでの生活を通じて、私は、日系社会に古き良き日本が息づいているのを感じたとき、日本という国をすごく意識しました。故郷や学校や同級生とのつながりの大切さを感じました。ブラジルで学んだ「多様性を受け入れる心」の大切さは、日本に帰った後も、活かされています。
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- サンパウロの和歌山県人会
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- リオデジャネイロ
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- 永住権
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- 茨城農業実践大学校
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- サンパウロの宝石販売オフィス
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- サンパウロの宝石販売オフィス
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カンピーナスは、ブラジル南東部サンパウロ州の標高700mの高山都市。20世紀に入り、黄熱病が流行し、人口の3割を失う大きな打撃を受けたが劇的な復興を見せ、「不死鳥の町」として広く知られるようになりました。
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- 極真会ブラジル南米大会で来伯された時の
大山倍達を交えた夕食懇談会 - 極真会ブラジル南米大会で来伯された時の
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- ブラジルの友人たちの見送り
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- ブラジル・カンピーナスの位置
趣味
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- 釣り
- 友ヶ島周辺で季節の船釣り何を釣上げたのかな。
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- 自宅でのガーデニング
- 地元のご婦人から頂いたニオイバンマツリの鉢植え。紫色の花弁が白色に変わります。足元にはパンジーの寄せ植えが見えます。
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- 愛読書:開高健「オーパ」
- 編集者:砂山地区でまちづくり活動を主体とした都市再生推進法人・NPO法人砂山バンマツリの名称は、このニオイバンマツリから名付けられています。